沖縄復帰50年を迎えて
2022年 5月15日
全国青年司法書士協議会
会長 内田 雅之
1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから、今年で半世紀を迎えます。
ところで、「復帰」とは何を意味したのでしょうか。
講和条約における日本の独立と引き換えに、日米両国の憲法が適用されない例外の状態に置かれていた沖縄には、いわゆる「復帰」後半世紀がたった現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎない土地に、日本全体の7割を超える米軍専用施設が集中しています。さらには、名護市辺野古では、新基地建設が強行されています。
私たちは、市民の権利擁護に努める法律専門職団体の使命として、「統治権」が日本に返還された後も沖縄が日本国憲法の理念とかけ離れた状態に置かれ、今なお辺野古新基地建設が強行されていることは、不合理な区分に基づく差別であり、憲法14条で保障すべき沖縄に暮らす人びとの平等権を侵害するものであるとの認識の下、意見書や会長声明を発出し、具体的な取り組みとしては、全国1788の地方議会に意見書の採択を求める陳情を行ってきました(詳細は後記)。
なぜ沖縄に米海兵隊基地が必要なのでしょうか。辺野古新基地建設は、軍事的(地理的)理由ではなく「本土の理解が得られない」という政治的理由によるものであることは、日米両政府の高官の数々の発言により明らかになっており、軍事的合理性の観点からいえば沖縄である必要はないのです。では、そのような基地建設を誰が望んでいるのでしょうか。沖縄の人びとは、県民投票、首長選挙及び国政選挙を通して、基地負担の増加に明確に反対の意思を示しています。米海兵隊基地を沖縄に置くことを求めているのは、多数者である「本土」に住む私たちなのではないでしょうか。
安全保障の問題は、沖縄を手段として、その犠牲の上に押し付けるべきものではなく、国民全体でその議論も含めて引き取るべきものです。
日本近現代史を振り返れば、沖縄は、日本の利益のために犠牲を強いられ続けてきました。「復帰」とは、米軍の支配から、民主主義、平和主義及び基本的人権の尊重を掲げる「日本国憲法」のもとへ帰ることを意味していたはずです。その意味での「本土」の人びとと対等な立場での「復帰」はいまだ果たされていません。
私たちは、この節目を迎えるにあたって、沖縄に対する構造的差別を是正し、安全保障に関しては、日本全体で当事者意識をもった深い議論が生まれ、沖縄の日本国憲法のもとへの「復帰」が果たされるよう、市民の権利擁護に努める法律専門職団体として、全力を挙げる決意を、ここに改めて表明いたします。
沖縄県知事による辺野古埋め立て承認取り消しに対する国の法的対抗措置に抗議するとともに、沖縄県との協議の継続及び辺野古埋め立てにかかる一切の行為の停止を求める意見書(2015.11.26)こちら
辺野古新基地建設工事を中止し全国の自治体を等しく候補地として国民全体で議論を深めるべきこと、並びに、普天間飛行場の移設先の決定につき日本国憲法に則り立法措置と住民投票を求める会長声明 (2017.2.28)こちら
日米地位協定の改正、航空特例法の改正及び沖縄の基地偏在を固定化させ、沖縄県民の人権を侵害し、法の下の平等に反する辺野古新基地建設工事を中止し、全国の自治体を等しく候補地として国民全体で議論を求める意見書(2018.3.28)こちら
辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票を受けての会長声明(2019.3.2)こちら
辺野古新基地建設の即時中止と、普天間基地の沖縄県外・国外移転について、国民的議論により、民主主義及び憲法に基づき公正に解決するべきとする意見書の採択を求める陳情(2019.5.20)
辺野古新基地建設の中止と、普天間基地の沖縄県外・国外移転について国民的議論を行い、憲法に基づき公正かつ民主的に解決するべきとする意見書の採択を求める陳情(2021.6.18 連名)
辺野古新基地建設に係る沖縄島南部からの土砂採取計画の撤回を求める意見書(2021.7.30)こちら