岡口基一判事が裁判官弾劾裁判所に罷免訴追されたことに断固抗議し、弾劾裁判所に対し、職務の停止決定の取消し及び弾劾裁判において罷免しない判決を強く求める会長声明
2021年9月21日
全国青年司法書士協議会
会長 阿部健太郎
1.はじめに
報道によれば、本年6月16日に、衆議院・参議院の国会議員で構成される裁判官訴追委員会が、仙台高等裁判所判事である岡口基一判事(以下「岡口判事」という。)の罷免訴追を決めた。また、同年7月29日には、裁判官弾劾裁判所(以下「弾劾裁判所」という)は理由を示すことなく裁判官としての職務を停止するとの決定をした。
「不当な訴追から岡口基一裁判官を守る会」 ( https://okaguchi.net/ 以下、「守る会」という。)に掲載された訴追状によれば、2015年の東京都江戸川区における女子高校生殺害事件の判決、犬の所有を巡る判決に関するソーシャルネットワーキングサービス「以下「SNS」という。」での発言並びに記者会見での発言計13件が「裁判官としての威信を著しく失う非行」に該当するとのことである。
2.弾劾裁判所及び罷免事由について
裁判官は、具体的な紛争について法を適用し、これを裁決する国家の作用である司法権の担い手として、高い倫理観と自覚が求められることは言うまでもない。そして裁判官であっても、公務員の選定罷免権(憲法第15条)の対象であって、その権能の淵源は国民からの信頼なのであるから、信頼を裏切る行為をした裁判官を排斥する必要がある。
しかしながら、裁判官は、裁判を通じて、市民の権利、特に少数者の人権を保護する職責を担っていることから、憲法は、裁判官の独立(憲法第76条3項)、裁判官の身分保障(憲法78条)を設けたのである。そこで、信頼を裏切る行為をした裁判官の排斥と裁判官の身分保障という両者の調和の観点から、国民の代表たる国会議員によって組織され、国会から独立した裁判官弾劾裁判所による弾劾裁判でのみ罷免できることとされた(憲法64条)。罷免判決となれば、被訴追者は裁判官の身分を失う(裁判官弾劾法第37条)とともに、法曹資格を剝奪され、退職金が支給されない等、被訴追者に及ぼす影響は非常に大きく、また、一審かつ終審であり不服申立ての制度もない。裁判官の独立に対する例外的かつ重大な処分であることから、罷免事由は極めて限定的であるべきであり、このことは罷免事由が「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき」(裁判官弾劾法第2条1号)、「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき」(同条2号)と、「著しく」「甚だしく」という文言を使って限定している趣旨からも明らかであり、単なる非違行為を理由に罷免することは許されない。
3.本件訴追の問題点について
(1)裁判官の表現の自由に対する重大な侵害であること
今回の訴追事由であるSNSにおける発言は、いずれも職務外の表現行為である。裁判官といえども職務を離れれば一私人であり、表現の自由の保障を受けることは言うまでもない。SNSにおける発言で罷免されてしまうこととなれば、裁判官の表現の自由に対する重大な侵害であり、他の裁判官の表現行為に与える萎縮効果も大きいことから、罷免の決定は謙抑的に行われるべきである。
過去に罷免された7人の裁判官は、民事事件への直接介入、饗応、謀略的な政治的策動など、明らかに裁判の公正を疑わせる著しい不正行為や、児童買春、ストーカー行為、盗撮など明らかな犯罪行為であった。従って、本件訴追事由とされている表現行為が罷免事由に該当するか否かは、過去の罷免例に匹敵する程度の、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつた」場合に限られる。そして、本件で訴追事由とされているSNSでの発言は、いやしくも内容や表現方法に不適当な点があったとしても、過去の罷免例にあるような明らかに裁判の公正を疑わせる行為や明らかな犯罪行為でもなく、これにより弾劾罷免するとなれば、あまりにも均衡を失するものである。
また、「最高裁判所は、裁判官について、弾劾による罷免の事由があると思料するときは、訴追委員会に対し罷免の訴追をすべきことを求めなければならない」(裁判官弾劾法第15条3項)とされているところ、最高裁は、岡口判事を分限裁判に基づき戒告処分としたが、別途訴追請求はしていない。つまり、最高裁は、岡口判事のSNSでの発言は、罷免に値しないと考えているのである。
これらの事情に鑑みれば、本件訴追事由は、罷免に値する非違行為ではなく、弾劾裁判所は罷免しないと判決すべきである。
(2)除斥期間を経過した訴追事由が記載されていること
裁判官弾劾法第12条前段は、「罷免の訴追は、弾劾による罷免の事由があつた後三年を経過したときは、これをすることができない」と、除斥期間を3年と定めている。
ところが、守る会に掲載された訴追状によれば、訴追事由として、除斥期間を経過した発言があげられている。除斥期間を経過した発言の記載は、訴追対象としてはならない事由により心証が形成され、罷免の判断がされるおそれがあることから、看過できない重大な違法である。従って、弾劾裁判所は訴追を違法として、請求を棄却するか、訴追委員会へ差し戻すべきである。
(3)三権分立及び公平中立な裁判への影響
訴追委員会及び弾劾裁判所は、国民の代表たる国会議員から組織されるといえども、国会から独立した機関として、中立公正な活動をすることが求められる。しかし、国会議員で構成されているため、政治的思惑を完全に排除することは出来ず、政治権力から中立公平を保つことは難しい。ひとたび弾劾裁判所の権限が濫用されてしまえば、司法に対する不当な政治的圧力として、三権分立のバランスを崩してしまう可能性を秘めており、非常に危険である。そのため、訴追委員会及び弾劾裁判所は、政治権力のための権限行使であると疑念を抱かれることのないよう十分配意することが必要である。特に訴追事由が、SNSの発言という基本的人権の一つである表現の自由である本件訴追に関しては、他の裁判官の表現行為に対する大きな萎縮効果をもたらすことから、特に慎重であるべきである。
さて、先述したとおり、最高裁は、岡口判事に分限裁判に基づき戒告処分としたが、別途訴追請求はしていない。つまり、最高裁は、岡口判事のSNSでの発言は、罷免に値しないと考えているのである。ところが、このような最高裁の意向を無視して、本件訴追がなされた。仮に、最高裁が罷免事由とはならないと考えていたSNSでの発言を理由として罷免されることとなれば、裁判官の身分は、訴追委員会及び弾劾裁判所の恣意的判断で決まってしまうこととなり、裁判官の身分保障を定めた趣旨が没却され、三権分立のバランスが崩れてしまう。これでは、他の裁判官の表現活動に大きな萎縮効果が生じることはもちろん、国が関与する裁判について、裁判官が国の意向を斟酌せざるを得ない状況を招くこととなり、公正中立な裁判が害されてしまう。
従って、三権分立のバランスを崩さないためにも、訴追委員会は訴追すべきではなかったし、弾劾裁判所は罷免しないと判断すべきである。
4.職務の停止決定について
報道によれば、弾劾裁判所は本年7月29日、理由を示すことなく、判決までの間、岡口判事の職務を停止する決定を行った。本制度趣旨を考慮するに、「職務を続けることが裁判に対する国民の信頼を失わせる恐れがある」とは、訴追事由が「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき(裁判官弾劾法第2条1号)」や、犯罪行為を行ったことが明白な場合には妥当するものの、本件のような私生活上の言動が訴追事由とされている場合にまで職務の停止をすることは、処分の先取りであり「権限の濫用」であると考えられる。
5.結語
以上に述べてきた通り、当協議会は、岡口判事が弾劾裁判所に罷免訴追されたことにつき断固抗議すると共に、弾劾裁判所に対し、職務の停止決定の取消し及び弾劾裁判において罷免しない判決を強く求めるものである。
制度上、選挙を経て選ばれない司法権の権威の源泉は市民の信頼であり、市民が司法に求めるものは、正義の実現や人権の保障である。裁判官に市民的自由が保障されていなければ、人権保障の砦として公正な判決を下すことは困難であるし、多数決による意思決定を排してでも少数者の人権を護ることなど望むべくもない。弾劾裁判所にはこの事実及び、この弾劾裁判が司法制度へ与える影響を重く認識し、司法の独立を脅かす決定をすることのないよう求める。