岡口基一判事に対する弾劾裁判所による罷免判決を受けての会長声明
全国青年司法書士協議会
会長 坂田亮平
1 2024年4月3日、仙台高等裁判所の判事である岡口基一氏(以下「岡口氏」という。)が、ソーシャルネットワーキングサービス(以下「SNS」という。)上の表現行為を理由に弾劾裁判所に罷免訴追された件につき、約2年間にわたる審理の結果、罷免(裁判官の身分を失わせ、法曹資格を剥奪する)判決(以下、「本件判決」という。)が言い渡された。
当協議会は、犯罪行為又はこれに匹敵する著しい不正行為により罷免された過去の罷免事例との均衡及び司法権の独立の観点から岡口氏を罷免しないことを求める会長声明を発出しており(2021年9月21日付「岡口基一判事が裁判官弾劾裁判所に罷免訴追されたことに断固抗議し、弾劾裁判所に対し、職務の停止決定の取消し及び弾劾裁判において罷免しない判決を強く求める会長声明」)、司法権の独立を基礎とする裁判官の身分保障の例外として構成される弾劾裁判所は、国民の代表たる国会議員から組織されるといえども、国会から独立した機関として中立公正な役割を果たすよう訴えてきたものである。
しかしながら、弾劾裁判所は本件判決において、岡口氏が投稿等を行った動機ないし目的に関する事実認定については精緻に行い、裁判官訴追委員会(以下「訴追委員会」という。)の主張を退けつつも、結論においては、訴追委員会の主張を受け入れ、岡口氏を罷免するとの判決を下した。
2 本件判決の発端となった訴追委員会が主張する訴追事由は、2015年の東京都江戸川区における刑事事件に関する判決並びに犬の所有を巡る判決に関するSNS上の投稿及び記者会見での発言計13件(一部は訴追期間が徒過している)が、裁判官弾劾法2条2号に規定する「裁判官としての威信を著しく失う非行」に該当するというものである。
本件判決では、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」の「非行」にあたるか否かを「裁判官という地位に望まれる一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」と判示し、その判断に際しては、「行為を行うに至った経緯、その行為が社会に及ぼす影響等すべて考慮し、健全な常識に基づいて慎重に行わなければならない」としつつも、結論においては、「対象者の感情を傷つけたか否か」を基準としている。つまり、同じ表現行為であっても、対象者の主観的な事情に左右され非行であるか否かの判断がなされることとなる。
そして、仮に「非行」に当たるとしても、その非行が「裁判官としての威信を著しく失う」程度に達しなければ、裁判官弾劾法2条2号の弾劾事由は認められないところ、弾劾裁判所は、「国民の信託に対する背反」が認められる場合に限り「非行」が「著しいもの」と判断すべきと判示した。そのうえで、「国民の信託に対する背反」があるか否かについて、現役の裁判官にも憲法が保障する表現の自由の保障が及ぶと述べつつも、SNSの特性からくる危険性への配慮、表現の自由の行使手段の問題、抗議等を受けても真の反省や改善がない等の理由を縷々述べ、「感情を傷つけた」ことを主な理由として「非行」が「著しい」という結論に帰着させている。
そもそも、人が社会に生きるうえで、誰も傷つける可能性のない表現のみを用いて生活することはおよそ不可能であり、価値判断の客観的な基準も示されず、対象者の感情という主観に基づき罷免の制裁を受ける可能性があるのであれば、裁判官は、職を賭す覚悟がなければ、対抗言論すら許されず、民主主義社会の根幹をなす言論の自由を封じられることになるだろう。
3 罷免判決は、裁判官に法曹資格の剥奪という苛烈な制裁を科すものであり、是正手段のない一審限りの終審で行われるものである。本件判決は、岡口氏の表現行為が対象者の感情を傷つけたという結果のみを理由として岡口氏に罷免という重大な結果責任を負わせるものであり、訴追原因と結論との間に是正しがたい著しい不均衡が生じているといわざるを得ない。
4 なお、岡口氏は、最高裁判所から二度の戒告処分を受け、一部の表現行為に対する損害賠償請求訴訟における第一審判決に対しては控訴権を放棄して判決を受け入れる姿勢を見せ、岡口氏の投稿等によって感情を害された刑事事件の被害者のご遺族には謝罪をし、2024年4月12日に裁判官の任期満了を迎えるにあたり退官の意向を示していた。したがって、岡口氏は、すでに十分な制裁を受けているというべきであり、重ねて罷免とすることは、苛烈に過ぎる。
5 裁判官の強い身分保障は、立憲主義の基本原則である「司法権の独立」を実質的に確保するために定められたものである。
弾劾裁判所の目的は、司法権の独立の例外として、国民の信頼を著しく裏切った裁判官を罷免することにあり、行為を離れて裁判官の人格態度を非難することにはない。
これを本件判決についてみるに、対象者の感情を汲み取ることのみを重視し、証拠に基づいて評価・判断されたとは言い難いものであり、任期満了による退官の意向を示している裁判官を退官の直前に罷免とすることは、裁判官弾劾制度の趣旨から見て制度目的を逸脱しているものであり、裁判官を一般社会人よりも不安定な身分に置く悪しき先例となった。
今般、岡口氏が罷免されたことは、裁判官の表現活動に委縮効果を与え、いかなる権力からも圧力・干渉を受けることなく独立した立場で公正な裁判を行うべき裁判官に政治的影響を及ぼしかねない。
本件判決は、司法権の独立、裁判官という職業に就く「個人」の人権保障、裁判官の身分保障及び表現の自由に深刻な影響を与えかねないため、当協議会は、本件判決に対し強く抗議するとともに、深刻な懸念を表明するものである。